クラシック音楽と聞いたとき、あなたはどの作曲家を思い浮かべますか?
モーツァルト?ベートーヴェン?もちろんどちらも偉大ですが、彼らが「音楽の父」と呼んだのが、
今回ご紹介するヨハン・ゼバスティアン・バッハです。
バッハは1685年のドイツ生まれ。生涯に1,000曲以上の作品を残し、今でも世界中のコンサートホールや教会で演奏され続けています。
この記事では、バッハの生い立ちから代表的な名曲まで、音楽初心者の方にも楽しめるように解説していきます。
この記事でわかること
- バッハってどんな人?生い立ちと「音楽の父」の理由
- バッハが音楽に込めた「神への思い」
- 絶対に聴いてほしい!バッハの名曲5選
- バッハ音楽の特徴と魅力
- バッハが現代に与えた影響
【バッハとは】音楽家の名門に生まれた天才
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685〜1750)は、ドイツのアイゼナハという小さな町に生まれました。
バッハ家は、祖父の代から200年以上にわたって50人以上の音楽家を輩出した「音楽一家」。
そんな音楽に満ちた環境で育ったバッハは、幼い頃から並外れた才能を見せます。
月明かりの下で楽譜を写した少年
バッハの音楽への情熱を語るうえで欠かせないのが、幼少期の有名な逸話です。
10歳で両親を亡くしたバッハは、兄ヨハン・クリストフに引き取られます。兄は当時の有名な作曲家たちの楽譜を持っていましたが、大切にしまい込んでいて弟には見せませんでした。
そうだよね。でもバッハはあきらめなかった!なんと夜中にこっそり取り出して、月明かりだけを頼りに半年かけて楽譜を書き写したんだ。
この「夜な夜なの写譜」が、後の失明にもつながったと言われています。音楽への情熱がそのまま人生の光と影になった──そんなバッハらしいエピソードです。
公務員からオルガニストへ
15歳で自立の道を選んだバッハは、リューネブルクの教会付属学校の給費生となり、本格的に音楽を学び始めます。
1703年、18歳でアルンシュタット教会のオルガニストに就任。
しかし彼の革新的な演奏スタイルは当時の保守的な教会関係者から「理解できない」と批判を受けることもありました。
その後、ミュールハウゼン、ワイマール、ケーテンと職場を移しながら、1723年にライプツィヒの聖トーマス教会のカントル(音楽監督)に就任。
ここでの27年間が、バッハの音楽人生のクライマックスとなります。
バッハが音楽に込めた「神への信仰」
バッハの音楽を理解するうえでとても大切なキーワードがあります。それが──
「Soli Deo Gloria(ソリ・デオ・グロリア)」── 神にのみ栄光あれ
バッハは作曲した楽譜の最後に、必ずこの言葉を書き込んでいました。
音楽を人に聴かせるためではなく、すべては神への捧げものとして──そんな信仰が、彼の作品の根底に流れています。
そう!敬虔なルター派信徒だったバッハにとって、音楽と信仰は切り離せないものだったんだ。教会のために毎週カンタータ(声楽曲)を作曲し続けたんだよ。
ライプツィヒ時代のバッハは、毎週日曜の礼拝のためにほぼ毎週カンタータを作曲していました。
その数、27年間でなんと200曲以上。「締め切りに追われる作曲家」という点では、現代のクリエイターにも通じる部分があるかもしれません。
マタイ受難曲──バッハが魂を込めた宗教音楽の最高傑作
この信仰心の結晶とも言えるのが、1727年に初演されたマタイ受難曲です。
イエス・キリストの受難(磔刑)をテーマに、二重合唱と二重管弦楽という大編成で描かれた約3時間の大作。
バッハ自身は「自分の最高傑作」と思っていたとされますが、初演後はほとんど忘れられてしまいます。
しかし1829年、当時20歳だったメンデルスゾーンがこの曲を再演したことで世界中に再評価が広まり、「バッハ復興」のきっかけとなりました。
絶対に聴いてほしい!バッハの名曲5選
バッハは1,000曲以上の作品を残していますが、まずはこの5曲から聴いてみましょう。
G線上のアリア(管弦楽組曲第3番 BWV 1068 より)
「クラシックといえばこれ!」というくらい有名な一曲。
原曲はヴァイオリンの4本の弦のうち最も低いG線だけで演奏できるようにアレンジされたことから「G線上のアリア」と呼ばれます。
テレビCMや結婚式でも頻繁に使われており、「聴いたことある!」という方が多いはず。穏やかで美しい旋律は、聴く人の心をそっと包み込みます。
【聴きどころ】 弦楽器が奏でる滑らかなメロディーと、その下を支える通奏低音のコントラスト。
【こんな方に】 クラシック初心者、BGMを探している方。
ゴルトベルク変奏曲(BWV 988)
アリアと30の変奏からなるチェンバロ(ピアノの前身)のための曲集。
もともとは眠れないロシア大使のために書かれたという逸話がありますが、これは後世に作られた話とも言われています。
1955年にカナダのピアニスト、グレン・グールドが独特の解釈で録音したことで世界的に有名になりました。グールドが鼻歌を交えながら演奏する姿は今も語り草です。
【聴きどころ】 30の変奏それぞれが全く異なる表情を持ちながら、最後は冒頭のアリアに戻る「円環の構造」。
【こんな方に】 じっくり音楽と向き合いたい方、深夜に一人で聴きたい方。
トッカータとフーガ ニ短調(BWV 565)
「ジャジャジャーン!」という冒頭のフレーズを聴いたことがある方は多いはず。
ホラー映画やドラマで使われることも多く、パイプオルガンの壮大な音響で始まるこの曲は、バッハの代名詞的な一曲です。
ただし実はこの曲、バッハ作ではないという説もあるのが面白いところ。謎めいた出自も含めて、多くの研究者が議論しています。
【聴きどころ】 パイプオルガンの低音がずっしり響く冒頭部分と、その後に展開するドラマチックな展開。
【日本での使用例】 様々なホラー・ミステリー系コンテンツのBGM、ゲームのダンジョン場面など。
ブランデンブルク協奏曲 第5番(BWV 1049)
6曲からなるブランデンブルク協奏曲の中で特に人気が高いのが第5番。フルート、ヴァイオリン、チェンバロが主役を担いますが、中でもチェンバロの活躍が際立ちます。
実はこの曲、音楽史上初のチェンバロ協奏曲として位置づけられており、後世のピアノ協奏曲の原点とも言えます。
バッハがケーテンの宮廷楽長を務めていた時期の傑作です。
【聴きどころ】 第1楽章のチェンバロによる長大なカデンツァ(独奏部分)。鍵盤楽器がここまで主役を張る曲は、当時衝撃的だったはず。
【こんな方に】 明るく活発な音楽が好きな方、楽器の掛け合いを楽しみたい方。
マタイ受難曲(BWV 244)
バッハ最大の宗教音楽作品。演奏時間は約3時間にも及ぶ大曲ですが、一度聴き始めると引き込まれます。
特に有名なのは冒頭の合唱「来たれ、娘たちよ」とアリア「憐れみたまえ、わが神よ」。
初めて聴く方には、まず序曲だけでも聴いてみることをおすすめします。バッハが信仰に込めた祈りのような旋律が、心に深く刻まれます。
【聴きどころ】 二つの合唱団と二つの管弦楽団が掛け合う壮大なスケール感。
【こんな方に】 本格的なクラシックに挑戦したい方、信仰や人生の深みを音楽で感じたい方。
バッハ音楽の3つの特徴・魅力
対位法の天才──複数の旋律が同時に絡み合う
複数の旋律(声部)が、それぞれ独立しながらも美しく絡み合う──まるで音楽的なパズルのような構造です。
その代表がフーガ(遁走曲)。一つの主題を複数の声部が追いかけ合い、複雑に絡みながらも秩序ある美しさを生み出します。
「まさに!バッハは音楽と数学の両方に造詣が深かったと言われてるよ。”音楽は数学だ”という人もいるくらい、論理的な構造美がある。でも聴いてみると意外と心地いいんだよ!」
フーガ(遁走曲)はその代表例。一つの主題を複数の声部が追いかけあい、複雑に絡みながらも秩序ある美しさを生み出します。
エピソード:楽譜を書き写し続けた少年
感情の振り幅の大きさ
チャイコフスキーのような激しいドラマ性とは少し違いますが、バッハの音楽には深い感情表現があります。
- マタイ受難曲の悲嘆と慟哭
- ブランデンブルク協奏曲の生き生きとした喜び
- ゴルトベルク変奏曲の瞑想的な静けさ
それぞれがまったく異なる感情の色を持っています。
あらゆるジャンルを制覇した「全能の作曲家」
バッハが活躍したバロック期には、声楽曲・器楽曲・オルガン曲・室内楽・管弦楽など様々なジャンルがありましたが、バッハはそのすべてで最高水準の作品を残しました。
バッハが活躍した時代(バロック期)には、声楽曲・器楽曲・オルガン曲・室内楽・管弦楽など様々なジャンルがありましたが、バッハはそのすべてで最高水準の作品を残しました。
その後のモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスらもバッハから多大な影響を受けており、西洋音楽史において「バッハあっての後世の音楽」と言えます。
晩年のバッハが音楽好きで知られたフリードリヒ大王の宮廷を訪れた際、王は「これを主題にフーガを作れるか?」と、わざと難しそうな音型を提示しました。バッハはその場で即座に6声部(!)のフーガを即興演奏してみせ、居合わせた音楽家たちを唖然とさせたと伝えられています。このエピソードから生まれたのが、晩年の大作「音楽の捧げもの」です。
その後のモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスらもバッハから多大な影響を受けており、西洋音楽史において「バッハあっての後世の音楽」と言えます。
バッハが現代に与えた影響──「音楽の父」と呼ばれる理由
日本の音楽教育では「音楽の父」と呼ばれるバッハ。
なぜそこまで高く評価されるのでしょうか?
平均律の確立──現代ピアノの「土台」を作った
バッハが残した、「平均律クラヴィーア曲集」は、24のすべての長調・短調で書かれた前奏曲とフーガの集成です。
当時の鍵盤楽器は調律の問題から、使える調が限られていました。バッハはそれを乗り越える「平均律」という考え方を実践し、「どの調でも演奏できる」という現代の音楽常識を確立したのです。
知っておきたい豆知識
「平均律クラヴィーア曲集」は第1巻・第2巻合わせて96曲。ピアノを習う人なら一度は触れる曲集です。
グレン・グールドやアンドラーシュ・シフなど、20世紀を代表するピアニストたちが録音を残しており、
いまも演奏・研究のバイブルであり続けています。
対位法の完成──後世の作曲家全員が学ぶ「教科書」
フーガをはじめとする対位法の技法を極め、後世のすべての作曲家が学ぶべき手本を残しました。
モーツァルトはバッハのフーガに衝撃を受けて対位法を猛勉強し、ベートーヴェンは少年時代に平均律クラヴィーア曲集を丸ごと暗譜。
ブラームスは生涯バッハを手本とし続けました。
宗教音楽の頂点──200曲以上のカンタータを「毎週」書いた
カンタータ・受難曲・ミサ曲など、宗教音楽のあらゆるジャンルで不朽の名作を生み出したバッハ。
しかしその背景には、壮絶な「締め切りとの戦い」がありました。
ライプツィヒの聖トーマス教会のトーマスカントルに就任したバッハは、毎週の礼拝のために新しいカンタータを書き続けるという驚異的なペースを数年間維持しました。
残されたカンタータだけで200曲以上。失われたものも含めると、その数はさらに多かったと考えられています。
エピソード:バッハと雇用主の”衝突”
実はバッハ、けっこう気が強い人物でもありました。若い頃に仕えたアルンシュタットの教会では、無断で長期休暇を取って大作曲家ブクステフーデのもとへ旅をし、雇用主に叱責されています。また、音楽の質をめぐって上司と激論になり、一時投獄されたことまであります。「神への音楽」に妥協しないゆえの衝突──そのくらい音楽に対して真剣だったのです。
死後の「復活」──メンデルスゾーンが蘇らせたバッハ
ここで意外な事実が一つ。
バッハは亡くなった後、一時期ほとんど忘れられていました。
18世紀後半、音楽のトレンドはバッハが得意とした複雑な対位法から、よりシンプルで明快なスタイルへと移っていったのです。
息子たちの世代のほうが当時は有名で、父バッハは「古臭い」と見なされる時代もありました。
エピソード:バッハの楽譜は肉屋の包み紙になっていた
バッハが生前残した膨大な楽譜は、死後きちんと管理されなかったものも多く、一部は散逸・廃棄されました。19世紀の研究者が調査したところ、バッハの自筆譜が肉屋の包み紙として使われていたという記録も残っており、当時の”忘れられぶり”を物語っています。
バッハの人生の光と影
光 ──愛情深い「父」であり「夫」だった
バッハは生涯で2度結婚し、20人の子どもをもうけました。
最初の妻マリア・バルバラとは幼なじみ同士。
7人の子どもをともに育て、音楽家として脂の乗ってきた30代、ふたりは手を取り合って歩んでいました。
ところが1720年夏、バッハが宮廷楽団の遠征旅行から帰宅すると──妻がいなかった。
36歳での突然の死でした。旅の間に逝ってしまったため、バッハは臨終にも立ち会えなかったのです。
翌年、バッハはアンナ・マグダレーナと再婚します。
声楽家で16歳年下の彼女に、バッハは音楽という形で愛を伝えました。
それが「アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィーア曲集」──手書きの楽譜に、夫婦で好きな曲を書き込んでいった、いわば”音楽で綴った交換日記”です。
子どもたちの練習曲も混じるその楽譜を想像してみてください。
どこかで子どもが泣いていて、別の部屋からはアンナの歌声が聞こえて、バッハは羽ペンを走らせている──そんな日常の温かさが、300年後の今も伝わってくるようです。
音楽一家の伝統
バッハの息子たちの中から、複数の著名な作曲家が生まれています。次男カール・フィリップ・エマヌエルは古典派の先駆者として高く評価され、末息子ヨハン・クリスティアンはロンドンで活躍し、幼少期のモーツァルトに大きな影響を与えました。父が手渡した音楽への愛は、確かに次の世代へと受け継がれていったのです。
影 ──光が消えていく、それでも音符は増えていった
バッハの晩年は、少しずつ「見える世界」が狭まっていく日々でした。
視力の衰えは徐々に進み、最終的に完全に失明します。
幼少期、月明かりの下で何ヶ月も楽譜を書き写し続けたあの夜々が、目に取り返しのつかない負担をかけていたとも言われています。
目が見えなくなっても、バッハは作曲をやめませんでした。
弟子に音符を口述で伝えながら書き続けたのが、「フーガの技法」。
対位法のあらゆる可能性を一冊に集めようとした、バッハ最後の大仕事です。シンプルな一つの主題を様々な形で展開・変容させ、積み上げていく──まるで、自分の音楽人生のすべてを整理するように。
しかし、その作業は突然終わりを迎えます。
最後のフーガは未完のまま、楽譜は途中で途切れています。
バッハ自身の言葉
バッハはこう語ったとされています。「私が達成したことは、誰でも同じだけ努力すれば成し遂げられる」。失明しながら作曲を続け、20人の子を育て、1000曲以上を書き残した人間の言葉として聞くと──これは謙虚なのか、それとも底知れない確信なのか。どちらとも取れる重みが、静かに胸に残ります。
まとめ──バッハの音楽は、神と人をつなぐ橋
バッハは、音楽を通じて神への信仰を表現し続けた作曲家です。その音楽は300年以上の時を越えて、今も世界中の人々の心を動かし続けています。
初めてバッハを聴くなら、まずは「G線上のアリア」や「ゴルトベルク変奏曲」から始めてみてください。きっと「なんか聴いたことある!」という親しみと、「こんなに深い曲だったのか」という発見の両方を感じられるはずです。
Soli Deo Gloria── 神にのみ栄光あれ
バッハが楽譜に書き続けたこの言葉を思い浮かべながら、ぜひその音楽を聴いてみてください。
よくある質問(FAQ)
Q. バッハとモーツァルトはどちらが有名ですか?
どちらも西洋音楽史上の巨人です。バッハは「音楽の父」として後の作曲家全員に影響を与えた存在、モーツァルトは「天才」として親しみやすい旋律で知られます。入門としてはモーツァルト、深く学ぶならバッハ、というアプローチが多いです。
Q. バッハの曲は何曲ありますか?
現在確認されている作品は1,000曲以上(BWV番号で1128まで整理)ですが、失われた作品も多くあるとされています。
Q. バッハはピアノ曲を書きましたか?
バッハが活躍した時代(バロック期)にはまだピアノが普及していなかったため、主にチェンバロやクラヴィコードのために書かれました。しかし現代ではピアノで演奏されることが多く、平均律クラヴィーア曲集やゴルトベルク変奏曲はピアノの重要なレパートリーになっています。