【涙の作曲家と呼ばれるチャイコフスキー】”くるみ割り人形”が世界中のクリスマスを変えた日とは

日本では、テレビCMで曲を使用されることが多いロシア人作曲家のチャイコフスキー

1840年に生まれ1893年に亡くなり、白鳥の湖や眠れる森の美女など53年間の間に数々の名曲を誕生させました。

ソラ
ロシアと聞くと、自然豊か、寒いなどのイメージであったり、ピロシキ、ボルシチなどを思い浮かべることも多いのではないでしょうか?

音楽とは少しずれてしまうけど、お寿司屋さんで見かける「イクラ」はロシア語由来の言葉なんだよね!

カイ
ロシア語で「икра(イクラ)」は「魚卵」を意味し、キャビアやタラコも含めて「イクラ」と総称されます!なんだか、ロシアに親近感が湧くね!

そんなロシアですが、実は芸術面で「バレエ・オペラ」が盛んで文化的特色の1つになります。

実際に見たことがなくても、女性が白鳥の姿で音楽に合わせて優雅に踊る姿をテレビやポスターで見たことがあるのではないでしょうか?

あの曲は「白鳥の湖」という曲で、今回ご紹介するチャイコフスキーが作曲しました!実はバレエ音楽のチャイコフスキーの作品が素晴らしくて、国際的に「ロシアはバレエ文化がすごいぞ!」と認知させた人物の1人です。

そんな華やかな名声を得たチャイコフスキーですが、実はうつ病を患っていた、同性愛者だった、偽装結婚など人間ならではの「影」の部分ももちろんあります。そしてチャイコフスキー自身の影だけでなく、当時のロシアの影も音楽に影響しています!

今回は、そんなチャイコフスキーの「光と影」のエピソードを交えながら音楽だけでなく、チャイコフスキーという人物の部分も触れていきます。

目次

【チャイコフスキーとは】生い立ちと音楽的ルーツ

「チャイコフスキーは幼少期から音楽一筋だった」──そんなイメージを持つ方も多いかもしれません。

けれど実は、彼の最初の職業は“公務員”でした。

チャイコフスキーの音楽は、決して「天才のひらめき」だけで成り立っているわけではありません。

彼の音楽的感性の根には、生い立ちや時代背景といった複雑な要素が深く絡んでいます。

音楽の出発点──オーケストリオンと母の死

チャイコフスキーは1840年、鉱山学と工学の教授である父と、歌が好きでピアノを少し弾ける母のもとに生まれました。

幼い頃から家にあった「オーケストリオン(演奏自動装置)」で音楽に親しみ、5歳にして耳コピでピアノを弾く才能を見せていたといいます。

このオーケストリオン、実は父親が持ち帰ったものでした。

パイプオルガンのような構造で、紙に穴を開けた穴を読み込んで演奏する装置は、現代のMIDIに近い役割を果たしていました。

そんな幸せな幼少期に大きな影を落としたのが、14歳のときに母を亡くした経験です。

この喪失感は、後の作品に現れる「哀しみ」や「孤独感」の原点とも言われています。

チャイコフスキーの転期:公務員から音楽へと

音楽家への道はすぐには開かれませんでした。

両親の希望により10歳で法律学校に進学し、19歳で法務省に就職。ところが、音楽への情熱は消えません。

そんな折、チャイコフスキーは帝室ロシア音楽協会(RMO)の存在を知ります。

これをきっかけにサンクトペテルブルク音楽院へ入学し、23歳で公務員を辞め、本格的に音楽の道へ。ここから、「ロシアを代表する作曲家チャイコフスキー」の歴史が始まりました。


19世紀後半のロシア・音楽ー対立と架け橋の両立

チャイコフスキーが生きた19世紀後半のロシアは、まるで舞台のように華やかさと激動が共存する国でした。

表舞台では宮廷バレエやオペラが花開き、豪華な文化が栄えていましたが、裏では農奴制や社会変革のうねりが起きていたのです。

チャイコフスキーが生きたロマノフ王朝と当時の農奴制

チャイコフスキーが生きたのはロマノフ王朝末期。この時代の特徴は、ヨーロッパの近代化とロシアの伝統が交錯する激動期でした。

農奴制──つまり「人間を土地の所有物のように扱う制度」──は1861年にアレクサンドル2世により廃止されましたが、それまでロシアの社会構造を大きく支配していたのです。

「ゲームのキャラクターのように、農民が土地と一体で売買される」──そんな非人道的な制度の中で育った社会感覚が、チャイコフスキーの音楽にも無意識のうちに影を落としているかもしれません。

西欧化とロシア国民楽派

当時のロシアには「西欧の文化を取り入れるべきか、それともロシア独自の音楽を築くべきか」という議論が存在しました。

その中で、グリンカを祖とし、「ロシア国民楽派(ロシア五人組)」と呼ばれる作曲家たちが登場。民族の旋律や伝統的な響きを重視した音楽を創り出していきます。

このロシア五人組──バラキレフ、ムソルグスキー、ボロディン、リムスキー=コルサコフ、キュイ──の多くは音楽の専門教育を受けておらず、それぞれが軍人や科学者など他分野の職を持っていました。

対してチャイコフスキーは、西欧の作曲技法を学んだ上で、ロシアの旋律や感情を融合させるという独自のスタイルを貫きます。これにより、民族性と普遍性を併せ持つ作品が誕生しました。

バラキレフはチャイコフスキーの『ロミオとジュリエット』に助言を行うなど、両者の間には敬意ある交流もありました。対立ではなく「リスペクト」を持ち合うその関係性は、現代にも通じる姿勢です。

チャイコフスキーの曲が名曲とされる理由とは

音楽に込められた深い悲しみや感情の揺れが、聴く人の心を強く打つチャイコフスキーは涙の作曲家と呼ばれています。

ただの才能だけでなく、時代背景・個人的経験・音楽的革新性の3つが絶妙に絡み合い、名曲を誕生させたとも言われており、ここからはチャイコフスキーの経験や時代背景などから、名曲が誕生した秘話をご説明していきます。

チャイコフスキーの曲が名曲とされる理由: 聴いてすぐに心に響くメロディ

「聴いた瞬間、心を奪われる音楽がある」──チャイコフスキーのメロディは、まさにそんな不思議な力を持っています。

たとえば「白鳥の湖」。その冒頭の旋律が静かに始まると、まるで夜の湖面に霧が立ち込めるような、物語の扉が開く感覚を覚えます。

そして「くるみ割り人形」の「花のワルツ」では、一転して光が差し込むような華やかさが広がります。

この“メロディの魔法”は、ただ美しいだけではありません。チャイコフスキーの旋律は、喜びや孤独、憧れや哀しみといった感情の色をそのまま音にしているからこそ、楽譜が読めなくても、クラシックに詳しくなくても、誰もが「わかる」。心で感じてしまう。

彼の音楽は、“感情を翻訳しない”芸術なのかもしれません。

言葉を介さずに、心と心が出会う場所。チャイコフスキーは、音を通じて、世界中の人々の心にそっと触れているのです。

チャイコフスキーの曲が名曲とされる理由:込められた感情を感じられる曲である

チャイコフスキーの音楽を聴くと、まるで誰かの心の奥底をそっと覗いているような気持ちになります。

彼の作品には、作曲家としての技巧よりも、「人間としての感情」が真っ先に響いてくるのです。

とりわけ「交響曲第6番《悲愴》」は、彼の魂がそのまま音になったような一曲。第一楽章では押し寄せる不安と葛藤、第二楽章ではわずかな安らぎと幸福感、そして終楽章では、希望を捨てきれぬまま沈んでいくような絶望が描かれます。

チャイコフスキーは、自身の人生の孤独や苦悩、愛と喪失の感情を、そのまま音楽に刻みました。だからこそ、聴く人も「これは私のことだ」と感じてしまう。彼の音楽は、心の深部を震わせる共鳴装置のようなのです。

感情を隠さず、むしろさらけ出す。それがチャイコフスキーの美しさであり、聴き手が涙する理由なのかもしれません。

チャイコフスキーの曲が名曲とされる理由:バレエ音楽で新しい世界を作った

チャイコフスキーが手がけたバレエ音楽は、それまでのバレエの常識を大きく塗り替えました。

それまでは、踊りを引き立てるための“伴奏”として扱われていた音楽を、彼は“ドラマそのもの”へと昇華させたのです。

「白鳥の湖」の悲劇と幻想、「眠れる森の美女」の華麗な宮廷世界、そして「くるみ割り人形」の夢のようなクリスマスの魔法。どれも舞台を飛び出し、ひとつの“聴く物語”として愛され続けています。

とくに「くるみ割り人形」は、クリスマスの定番として世界中の劇場や家庭を温かく包み込む存在に。チャイコフスキーの音楽がなければ、今日のバレエ文化はここまで豊かにはならなかったでしょう。

彼が生み出したのは、音楽と物語と舞踊がひとつになる「総合芸術の夢の国」。それは子どもも大人も心をときめかせる、“魔法の扉”だったのです。

チャイコフスキーはロシアだけでなくヨーロッパ全体の文化にも興味を持ち、多様なスタイルを取り入れました。その結果、彼の音楽はどこの国でも親しまれるようになりました。

チャイコフスキーの曲が人の感情をこんなにも動かす理由

チャイコフスキーの旋律(メロディー)はまるで魔法使いのように、音階を上下に動かすだけのシンプルな構造でも、心が浮き立ち、沈み、涙が溢れるほどの感情を呼び起こします。

それは、彼の旋律の美しさ、感情の深さ、オーケストレーションの巧みさ、さらにバレエとの融合といったいくつもの要素が”絶妙”に重なりあっているからです。

そういった旋律の美しさ、心の深さ、音の色彩、そして舞台芸術との融合がされている音楽が、「なぜ心に届くのか」を解き明かしていきます。

美しく豊かな旋律(メロディ・ライン)

チャイコフスキーの音楽を語るうえで欠かせないのが、旋律(メロディ)の美しさです。
その魅力は、一言で言えば「心に直接語りかけてくる音」。
ここでは、彼の旋律が人々の心をとらえて離さない理由を、2つの特徴からご紹介します。

「音の階段を上り下りする魔法使い」

チャイコフスキーの音楽は、まるで魔法使いが音の階段を自在に行き来しているよう。
彼はシンプルな音階(ドレミファ…)を用いながらも、その上下の動きだけで聴く人の感情を激しく揺さぶります。

音が上がると、私たちの心も自然と高揚し、希望や明るさが生まれる。
音が下がると、逆に落ち着いたり、切なさが胸に広がる──。

チャイコフスキーはこの「音の高低差」に、細やかな装飾や表情を加えることで、驚くほど深く、豊かな感情世界を築き上げていきます。

ただ音を並べただけではない、人間の感情そのものを旋律に乗せた“音楽の言葉”
彼はまさに、音階という素材から詩的な物語を紡ぐ“音の魔法使い”だったのです。

基本的な音階に様々な飾りを施すことで、チャイコフスキーは息をのむほど美しく、時に哀しく、また慈愛に満ちた旋律を生み出します。

「ロシア版・小室哲哉的」ヒットメーカー

もうひとつの魅力は、“一度聴いたら忘れられない”キャッチーさです。
クラシック音楽の世界において、チャイコフスキーはまるで“ロシアの小室哲哉”のような存在。

『白鳥の湖』『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』──
これらのバレエ音楽には、まるでヒット曲のサビのように印象的なメロディが随所にちりばめられています。

彼は音階というシンプルな素材を、心に残るフレーズへと練り上げる天才でした。
しかもそこに加わるのは、ロシアならではの情感。
広大な大地、厳しい自然、素朴な人々の暮らし──そうした情景を想起させながら、普遍的な人間の心の動きを描いています。

だからこそ、彼の音楽はクラシックでありながら、ポップスのように“共感できる”旋律となり、多くの人の心に寄り添い続けてきたのです。

感情的表現の大きさとドラマ性

チャイコフスキーの音楽が聴く人の心を激しく揺さぶるのは、それが単なる音楽ではなく、彼自身の“感情そのもの”だからです。
彼の人生には、人一倍繊細な心と、激しい内面のドラマがありました。そのすべてが音楽に刻み込まれ、聴く者の心にまっすぐ響いてくるのです。

実際にどのような体験をしたかというと

  • あがり症で自分の曲の指揮が苦手だった

  • 動物園で、蛇がウサギを食べるところを見て号泣し寝込む

  • カードゲームで負けると永遠に言い訳をする

(マール社「クラシック作曲家列伝」から)

 

チャイコフスキーは同性愛者でした。しかし、19世紀ロシアでは同性愛は違法であり、社会的にも激しく非難される存在でした。
彼はその性的指向を誰にも知られないように生きることを余儀なくされ、自身のアイデンティティとの葛藤を長く抱えていました。

音楽院の生徒だったザークという青年を深く愛したものの、その恋は社会に認められるものではなく、やがてザークは自ら命を絶ってしまいます。
この出来事はチャイコフスキーの心に深い傷を残し、しばらく作曲すらできなくなるほどの影響を与えました。

現代は、色々な愛の形が認めらていますが、当時のロシアでは同性愛は違法とされておりましたが、2013年にプーチン大統領も、チャイコフスキーが同性愛者であったことを認めつつ、「彼は偉大な音楽家で我々の誇り」と述べています。

世間体を気にして、自身の性的指向を隠すためにチャイコフスキーは一度、女性と結婚します。
その相手は、彼に熱烈なラブレターを送り続けていたファンの女性でした。

「あなたと結ばれなければ、死んだ方がましです!」

という強烈な言葉に押され、チャイコフスキーは「兄のような愛でよければ…」という思いで結婚を決意します。
しかし、心を偽った結婚生活は彼にとって耐えがたい苦痛でしかなく、やがて精神的に追い詰められ、自殺未遂を起こすまでに至りました。

結果的に彼は妻のもとから逃げ出し、その後は生涯独身を貫きます。

こうした人生の苦悩と葛藤は、チャイコフスキーの音楽の中で激しく、そして繊細に表現されています。
彼の作品には、抑えきれない愛、孤独、傷、絶望、そしてわずかな希望が交錯しており、それが聴く人の心を深く揺さぶる理由の一つでもあります。

交響曲第6番《悲愴》などは、まさに彼の“魂の叫び”がそのまま旋律になったような作品です。

オーケストレーションの巧みさ

チャイコフスキーの音楽が持つ壮大さ、繊細さ、感動の深さ。
それを支えているのが、彼の“オーケストレーション”の巧みさです。

オーケストラ楽器を用いた編曲技術のことで、料理を作る際の調理法のようなものです。

作曲家が基本となる、メロディやハーモニー、オーケストレーションを用いて曲を作り、メロディやハーモニーは料理の「食材」、どの楽器に演奏させるかは「調理方法」、楽器の組み合わせ方やバランスの取り方は「味付けと盛り付け」。

つまり、作曲家はただメロディを作るだけでなく、「その音を”どの楽器で”どう演奏させるか」までを考える必要があり、オーケストレーションは、音楽を”印象的な一皿”に仕上げるための、調理技術と言えます。

チャイコフスキーのオーケストレーションは、まさに音の絵画のようです。
さまざまな楽器の音色をまるで色彩のように扱い、虹のように豊かな音の風景を描き出します。

たとえば──

  • フルートの軽やかさとクラリネットの柔らかさで、夢見るような情景を作り出す。

  • バイオリンとチェロの組み合わせで、感傷的な響きを生み出す。

  • ホルンの温かい音色で、優しさや安心感を伝えたかと思えば、

  • トランペットや打楽器で一気に華やかさや劇的な緊張感を盛り上げる。

その変化の妙は、聴く者の感情を一瞬で引き込み、まるで映像を見ているかのような臨場感を与えます。

さらに驚くべきは、限られた編成でも壮大な音響を作り出せること。
多くの楽器を使わなくても、チャイコフスキーのオーケストレーションはまるで大編成のような厚み立体感を実現します。

ほんの数本の木管楽器と弦楽器だけでも、彼の手にかかれば、広がりのある音の世界が生まれる。
これはまさに“音楽の魔法”としか言いようがありません。

ドラマと抒情性のバランス

チャイコフスキーの音楽の最大の魅力のひとつ──
それは、情熱的なドラマ性と、繊細で優美な抒情性の絶妙なバランスにあります。

彼の作品は、まるで「激しく揺れるストーリー」と「美しい詩の言葉」が同時に進行する映画のような音楽体験
聴く人は、音楽のなかに人生そのものを見出すことができるのです。

交響曲第4番や第6番《悲愴》を聴けば、チャイコフスキーの音楽がいかに人間の苦悩や運命との格闘を描いているかがわかります。
力強いリズムや激しい転調は、まるで心の奥底にある感情が爆発する瞬間のよう。
まるで映画のクライマックスを見ているような迫力で、聴く人を音の物語の中に引き込みます。

一方で、チャイコフスキーは感傷的で詩的な旋律にも並外れた才能を発揮しました。
『白鳥の湖』『眠れる森の美女』といったバレエ音楽では、流れるような旋律が観客の心をそっと包み込みます。
それは、言葉にならない想いがメロディに乗って語られているような感覚──
まるで詩を読むように音楽を味わう、そんな時間を私たちに与えてくれるのです。

この抒情性こそが、チャイコフスキーの音楽をただ“激しいだけのドラマ”ではなく、心に残る芸術作品へと昇華させているのです。

チャイコフスキーの音楽には、ロシアの哀愁と西欧の洗練された美が同居しています。
激しく心を揺さぶる展開の中にも、ふと立ち止まって涙が出そうになるような美しさがある。
この二面性の絶妙なバランスこそが、彼の音楽が多くの人の心に届く理由です。

たとえば《1812年》や『白鳥の湖』のように、劇的な展開詩的な旋律が見事に融合した作品は、聴くたびに新たな感動を与えてくれます。

バレエの普及による知名度

チャイコフスキーの名前が世界中に知られるようになった理由のひとつ──
それは、彼が手がけたバレエ音楽の傑作たちが、ロシアを“バレエ大国”へと導いたことにあります。

ロシアバレエのはじまりと完成

バレエはもともとイタリアで生まれ、フランスで発展し、ロシアで芸術として完成されたと言われる舞台芸術です。
18世紀初頭、ピョートル大帝の西欧化政策によりバレエがロシアに導入され、1738年にはサンクトペテルブルクに最初のバレエ学校が設立されました。
この段階ではまだ“輸入文化”だったロシアのバレエ。

しかし、19世紀末、ある作曲家の登場によってロシアバレエは真の輝きを放つことになります。
そう──チャイコフスキーの登場です。

音楽と舞踊の“革命的な融合”

1890年にモスクワで『白鳥の湖』が初演され、続いて『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』が世に出ると、状況は一変。
チャイコフスキーの美しくドラマティックな音楽と、巨匠マリウス・プティパの洗練された振付が融合し、バレエというジャンルがまったく新しい芸術へと進化しました。

これらの作品──「三大バレエ」は、いずれも音楽単体でも高く評価されるほどの完成度を誇り、
バレエ音楽という分野に初めて芸術的価値を与えた作曲家
がチャイコフスキーだとされる理由でもあります。

ちなみに、世界的名作として知られる『白鳥の湖』ですが、実は初演ではあまり成功しなかったという意外なエピソードも。
しかしその後の再演や再構成によって評価を高め、現在の地位にまで上りつめました。

チャイコフスキーのバレエ音楽は、音楽と動きが一体化する魔法のような芸術です。
音楽が情景を描き、踊りがその情景に命を吹き込む──
この“総合芸術”としての完成度の高さが、ロシアバレエを世界的に押し上げました。

そしてそのバレエ音楽が、多くの人にとってチャイコフスキーという名を「聴いて知る存在」へと変えていったのです。

チャイコフスキーのバレエ音楽は、

  • 西欧の音楽理論と技術

  • ロシアの民族的感性と情緒
    この2つを融合させた国際的かつ個性的なスタイルとして、高い評価を受けました。

バレエという表現手段を通じて、彼はクラシック音楽の枠を超え、より広く・深く・多様な人々に音楽を届けたので

チャイコフスキーの代表的な名曲

一度はふと街角や映画で耳にしたことがある、あの忘れがたい旋律──それがピョートル・チャイコフスキーの名曲たちです。

たとえば、凍てつく湖面を白鳥が舞うように描く『白鳥の湖』の優雅な主題曲。

クリスマスの夜に響く『くるみ割り人形』の華やかなワルツ。胸を締めつけるような『交響曲第6番《悲愴》』の哀愁。

そして、熱い情熱がほとばしる『ピアノ協奏曲第1番』──。

どれもが、聴くだけで心がぐっと引き込まれ、もっと知りたくなる“物語”を秘めています。

チャイコフスキーの代表的なバレエ音楽

バレエ音楽とは、ダンサーの動きと音楽が一体となって生まれる、物語性あふれる特別な芸術です。

ステージに流れる旋律は、踊り手のひとつひとつの仕草に寄り添い、まるで言葉を使わずに物語を語りかけるかのような魔法をかけてくれます。

聴くだけでも、おとぎ話の世界へと引き込まれるような感覚を味わえ、子どもから大人まで幅広い世代が楽しめる魅力があります。

なかでもピョートル・イリイチ・チャイコフスキーが手がけたバレエ音楽は、まさに“魔法”と呼ぶにふさわしい美しさ。

繊細な旋律と豊かな和声を駆使し、登場人物の感情や物語の情景を音だけで生き生きと描き出します。

しかも単なる劇伴にとどまらず、当時のロシアに西欧音楽の技法を持ち込み、民族的なメロディーと融合させることで、交響曲にも匹敵する深い芸術性を獲得しました。

白鳥の湖(1876年)

1. 初演の大失敗と再生のドラマ
  • なぜ大失敗?
    ① 当時のバレエ団には複雑すぎるドラマティックな音楽が荷が重く、ダンサーが対応しきれなかった
    ② 舞台装置・演出が二流レベルで、視覚的にも物語を支えられなかった
    ③ 音楽があまりに革新的で、観客が「バレエ音楽とはこういうものか」とついていけなかった

  • 再生のきっかけ(1895年)
    振付家マリウス・プティパ&レフ・イワノフが大幅改訂。音楽と踊りをより緊密に結びつけ、物語性と感情表現を強化。これにより真の傑作となり、世界中で愛されるようになりました。


2. 物語の結末バリエーション
  1. ハッピーエンド版
    オデット姫とジークフリート王子が呪いを打ち破り、幸せに結ばれる。

  2. バッドエンド版(初演版)
    誤ってオディールに誓った王子は呪いを解けず、二人は湖に身を投じて命を絶つ。ロットバルト(悪魔)が勝利。

  3. 別バッドエンド
    王子の謝罪もむなしく呪いは解けず、オデットは命を絶つ。演出家や時代・地域により、さらに多様な結末があります。


3. 『白鳥の湖』×アニメ・ゲーム活用例
  • 『ファイナルファンタジーⅡ』
    王女ヒルダがフリオニールを誘惑するシーンで、BGMに第2幕のオーボエ旋律が流れる。

  • 『ファイナルファンタジーⅢ』
    各地の踊り子に話しかけると“白鳥の湖”風アレンジが再生される。

  • 『リボンの騎士』(手塚治虫)
    原作・アニメ版ともに、悪魔の娘ヘカテのテーマなどに楽曲が引用され、物語のムードを高める。

  • 『銀河英雄伝説』
    劇中の重厚な場面転換で断片的に登場し、王朝や運命のドラマを象徴。


チャイコフスキー没後、1895年改訂版の成功を経て誕生した『白鳥の湖』。
その旋律はバレエの枠を超え、ゲームやアニメのワンシーンにも鮮やかな色を添え続けています。
――次にこの名曲に触れるときは、舞台だけでなく、あなたの好きな映像作品のどこかにもその旋律が隠れていないか、探してみてください。

くるみ割り人形(1892年)

 

1. 初演時の賛否両論
  • 観客の反応:クリスマスの華やかな空気と楽しさを感じさせる演出が好評。

  • 評論家の批評:物語の結末が曖昧で、「バレエらしいドラマ性に欠ける」と評され不評。

  • その後の評価:細部の改訂を重ね、現在では世界中でクリスマス定番として愛される至高のバレエに。


2. 作曲当時のチャイコフスキーの状況
  • 経済的安定:皇帝から年金を受給し、経済面では支えられていた。

  • 精神的な苦境:長年文通のみで支援を続けてくれたナジェジダ・フォン・メック夫人との関係が1890年に突然断絶。約1,200通にも及ぶ手紙のやり取りで支えられていただけに、大きな喪失となった。

  • 創作環境:1892年、モスクワ郊外クリンに移住。静かな場所で心を落ち着け、『くるみ割り人形』全曲を完成させる。

  • 本人の評価:「自分の最高傑作ではない」と感じていたほど、童話の音楽化に自信が薄かった。


3. 全曲構成(主要15曲/詳細20曲以上)

第1幕

1.序曲
2.クリスマス・ツリー
3.行進曲
4.子供たちのギャロップと両親の登場
5.ドロッセルマイヤーの到着
6.グロスファターの踊り
7.クララとくるみ割り人形
8.戦い
9.冬の松林で
10.雪の精のワルツ

第2幕
11. お菓子の王国
12. クララと王子のパ・ド・ドゥ
13. ディヴェルティスマン(6つの小品)
14. 花のワルツ
15. 最後のワルツとアポテオーズ

(ディヴェルティスマン内の6小品などを含めると、全20曲以上になります)


4. 物語のあらすじ

クリスマス・イブの夜、少女クララはおじさんドロッセルマイヤーから「くるみ割り人形」を贈られる。
深夜、人形が動き出し、クララはお菓子の国へ導かれる。
そこでは花の精や中国の踊り子、葦笛の踊りなどさまざまな祝祭が繰り広げられ、クララは夢のようなひとときを過ごす。
最後は現実に戻り、「あれは夢だったのか──」と物語は幻想的に幕を閉じる。


5. 日本での意外な使用例
  • CM

    • いすゞジェミニ:「花のワルツ」

    • ソフトバンク:「葦笛の踊り」

  • ゲーム

    • 3DS『キングダムハーツ Dream Drop Distance』:花のワルツ、トレパック、葦笛の踊り、中国の踊り など

  • アニメ

    • 『青のオーケストラ』第7話:「花のワルツ」

    • 『青のオーケストラ』第11話:「小序曲」

――チャイコフスキーが描いた、夢と現実が交錯するファンタジー世界。
クリスマスの定番を超え、ゲームや映像作品のワンシーンにも彩りを添える名作を、ぜひこの冬に改めてお楽しみください。

眠りの森の美女(1889年)

ディズニー版との共通点と相違点

  • 共通点
    シャルル・ペローの童話を原作に、呪いで眠る姫が王子のキスで目覚める筋書き。

  • チャイコフスキー版
    物語は簡略化され、音楽と舞台芸術そのものが主役。テーマは「美」「愛」「呪い」。

  • ディズニー版
    アニメ映画としてストーリー全体を詳細に描写。テーマは「ファンタジー」「冒険」「愛の力」。


作曲の背景とエピソード

  • 皇帝への間接献呈
    ロシア皇帝アレクサンドル3世の家族娯楽用バレエとして企画。
    劇場総裁フセヴォロジスキーに献呈し、その後皇帝一家を楽しませる意図が込められた。

  • 制作チーム
    振付:マリウス・プティパ
    作曲:チャイコフスキー
    台本と演出の調整を重ね、豪華で祝祭的な舞台が完成した。

  • 作曲料
    『白鳥の湖』より約6.25倍の約1,687万円(当時の相当額)。
    チャイコフスキーの名声と皇帝の期待の高さを物語る数字。


チャイコフスキーの制作環境と生活

  • 拠点往復

    • サンクトペテルブルク:プティパ、フセヴォロジスキーとの打ち合わせ

    • モスクワ近郊クリン(自宅):作曲とオーケストレーションに集中

  • 作曲スケジュール
    1888年〜1889年:主にメロディとハーモニーを構築
    1889年6〜8月:徹底したオーケストレーション作業

  • 健康的な生活習慣
    以前の夜型生活で体調を崩した反省から、夜11時に就寝、朝7時起床の規則正しいリズムに転換。


名曲「ワルツ」が紡ぐ物語

  • **第1幕 第6曲「ワルツ」**が特に有名。
    華やかでロマンティックな旋律は、「Once Upon a Dream」(ディズニー映画『眠れる森の美女』主題歌)にも引用され、世界中で愛される。


意外なアニメ・ゲーム使用例

  • ディズニー『Once Upon a Dream』
    第1幕第6番「ワルツ」を基に、プリンセスと王子の出会いを彩る名曲に。

  • 『銀河英雄伝説』
    本編第2期で劇的な場面転換に断片的に登場。

  • その他

    • 各種クラシック番組やドキュメンタリーのBGM

    • ダンスゲームなどでワルツ編曲が使用されることも多い

――チャイコフスキーの『眠れる森の美女』は、童話の魔法を音楽として完成させた壮麗なバレエ音楽。
劇場で、映画で、そしてさまざまなメディアで再生されるたびに、その祝祭的な世界が現代によみがえります。

チャイコフスキーの代表的な交響曲

チャイコフスキーの交響曲は、いわゆる“お堅い”イメージを覆す、ドラマチックで濃密な音楽の世界です。

楽章が進むごとに物語が展開し、まるで心の奥底を旅するかのような深い感動をもたらします。日本のアニメやゲームでも、重要な場面でシンフォニーの一部が劇伴として用いられ、キャラクターの運命や葛藤を一層際立たせる演出にも一役買っています。

チャイコフスキー自身、交響曲という形式を通じて「人生とは何か?」という大きな問いと向き合い、その答えを音で紡いでいったのではないかと感じられます。

特に「運命」というテーマは、第4番や第5番、第6番『悲愴』などに鮮烈に表れ、聴く者の胸を強く揺さぶります。

これからご紹介する代表的な交響曲を通じて、チャイコフスキーが描いた“人生の物語”に浸ってみてください。どうぞお楽しみください!

交響曲第4番ヘ短調Op.36 (1877年)

チャイコフスキーは1877年から1878年にかけて、人生の転換期にこの交響曲を作曲しました。演奏者の間では交響曲第4番は「チャイ4」とよく略されます。この時期、彼はさまざまな経験をしています。

ナジェジダ・フォン・メック夫人が彼のパトロンとなり、経済的な支援を受けるようになりました。
しかし良いことばかりではなく、「感情的表現の大きさとドラマ性」で述べた女性との結婚が破綻し、精神的に追い詰められた時期でもあります。この頃はほぼ発狂状態だったと言われて自ら命を経とうともしています。
その後、療養のためヨーロッパ各地を旅行し、ヴェネツィアでこの曲を作曲しました!この交響曲第4番には、チャイコフスキー自身による解説があります

  • 第1楽章では「運命のテーマ」が登場し、自分の心情を反映している

冒頭で金管のファンファーレがその「運命」の主題です。

  • 第4楽章では、ロシア民謡「白樺は野に立てり」が引用されており、民族的な要素も含まれている

この交響曲は、チャイコフスキーの後期交響曲の始まりとされ、彼の全6作の交響曲の中で最も情動的な作品と言われています!

 

「でも交響曲は日本のテレビで使用されないだろうな・・」と思っているあなた!実はあります!

『涼宮ハルヒの憂鬱』では、クライマックスシーンで第4楽章が長めに使用され、見事な盛り上がりを見せています!ぜひその場面を探してみてください!

また手塚治虫の『森の伝説 PART-1』では、この交響曲全体がアニメーションの背景音楽として使用されています。実は手塚治虫、チャイコフスキーの交響曲第4番に深く影響を受け、『森の伝説』というアニメーション作品を制作しました。

 

またアニメ「銀河英雄伝説」でもたくさん使われています!このアニメはかなり沢山のクラシック曲が使用されていますので、見てみると「なんか聞いたことあるぞ!」という曲がたくさん出てくると思います!

チャイコフスキーの激動の人生の中で、作曲されたチャイ4。「運命」というテーマをもとに作られたこの曲は、チャイコフスキー自身が運命に抗うために作曲したのか、または運命に翻弄され自暴自棄になり作曲したのか。

いずれにしても、チャイコフスキーの内面的な叫びが聴こえてくるようです。ぜひともその叫びの部分を聴いてみてください!

交響曲第5番ホ短調Op.64 (1888年)

悲しみを抱え作曲に専念するためヨーロッパ各地を放浪していたチャイコフスキー。

先ほどのチャイ4から11年経って作曲されているこの曲です!こちらの曲はチャイ5と略されています。

この時当時48歳!友人の死や妹の家庭崩壊、未だ進展なしの離婚など、さらに精神的に不安定な時期でした。この体験や苦しみで、死や宗教について深く考えるようになっていました。

ここでもチャイ5の「運命の主題」が曲全体的を通して現れます!いかに運命に翻弄され、人生の浮き沈みとは、なんたるものか・・・と聞いていて感じてしまいます!

これが運命の主題↓

エネルギーのあるチャイ4の運命のテーマとは打って変わって、振り幅も少ないから仄暗さこの上ないです。この違いも当時のチャイコフスキーの内面的な葛藤や感情が表現されていって感じです!

 

悲劇で終わってしまうのか・・・と不安になりますが!最終的に明るい調子で終わります!

交響曲は1、2、3、4と4つの楽章で構成されています!その最後の第4楽章で先ほどの画像の「運命の主題」が輝かしく変化して登場します!希望はある!これは「運命に対する勝利」を表現しているとされています!

最初はとても暗い、そう、まるで夜明け前を彷徨っていたようなチャイコフスキーが、朝日を見て希望や勝利への願いが感じられる作品となっています!

日本では、ドラマ『リバーサルオーケストラ』のオープニングテーマが、この交響曲の「運命の主題」をアレンジしたものとなっています!ぜひYouTubeで聞いてみてください!

交響曲第6番ロ短調Op.74「悲愴(パテティック)」(1893年)

自他ともに認める最高傑作!チャイコフスキーはこの曲を「自分の人生そのものを表現した」と語っています。彼の最後の交響曲であり、特別な背景や感情が込められた作品です。

題名を見るだけで悲しくなりますね・・実際に冒頭から悲しみと苦悩を象徴する暗いテーマで始まります。彼は「悲・哀・暗」という人生をずっと歩んできたのだと、この曲全体を通して言っているようです。

途中、優雅な場面の2楽章に移りますが私はどうも「空元気だな・・」と偽りの明るさを感じてしまいます。

チャイコフスキーは「人生を締めくくる壮大な交響曲」を作りたいと考えていました。そして彼はこの作品を「自分が最も愛するもの」として大切にして作られたのです。

そして「悲愴」という副題は自らがつけて、チャイコフスキー自身の指揮で初演されました。

しかし・・!なんと初演の9日後、チャイコフスキーが突然この世を去ったのです!原因は未だに解明されてないのですが有力な説は2つ!コレラが死因か、自殺説です。ただ死の直前まで1894年の予定を決めていたことから、突然の死を予期していなかった可能性が高いです。

そんな最高傑作は日本で「銀河英雄伝説」というアニメで使用されています。先ほどのチャイ4でも紹介しました!補足ですが、このアニメベートーヴェンとかも使用されています!このアニメを見ればクラシック好きになるかもしれませんね!

チャイコフスキーの代表的な協奏曲

協奏曲(コンチェルト)は、オーケストラという大舞台のなかで「スター(独奏楽器)」と「バックダンサー(オーケストラ本体)」が共演し、一つの物語を紡ぎ出す音楽形式です。

スターはピアノやヴァイオリンなど、ある楽器にスポットライトが当たる独自のパートを担い、その華麗なソロによって聴き手を惹きつけます。

一方、バックダンサーであるオーケストラは、多彩な楽器群でスターを支え、時には対話を交わしながら、曲全体のドラマを盛り上げます。

チャイコフスキーの協奏曲にも、この「スター×バックダンサー」の魅力が存分に発揮されています。特に有名な『ピアノ協奏曲第1番』では、冒頭から力強いピアノの主題が響き渡り、オーケストラとの壮大な掛け合いが続きます。

また、『ヴァイオリン協奏曲』でも、煌びやかなヴァイオリンの旋律がロシア的な情感を帯びて舞い踊り、オーケストラが豊かなハーモニーで彩りを添えます。

これらの作品を通じて、チャイコフスキーが描いた「協奏曲の魔法」をお楽しみください。

ピアノ協奏曲第1番変ロ短調Op.23(1875年)

チャイコフスキーがこの作品に取り組んだのは、1874年11月から1875年2月にかけての約4か月。

初稿完成後も作曲家自身の理想を追求し、1879年と1888年の2度にわたって大規模な改訂を行いました。

とりわけ1888年版は、演奏性や音楽的表現が一段と深められ、チャイコフスキーの「最終的な意図」を反映しているとして、現在ではこちらが標準版として定着しています。彼は演奏家たちの意見を積極的に取り入れながら、自らの声を磨き上げたのです。


ルビンシテインとの激しい論争
この協奏曲を親友ニコライ・ルビンシテインに献呈しようとしたチャイコフスキー。

しかしクリスマスイブに下書きを聴かせた際、ルビンシテインから「陳腐で不細工」「演奏不可能」と手厳しい批判を受けます。

傷ついたチャイコフスキーは大改訂を拒否し、献呈を取り下げ。そして代わりにドイツの指揮者ハンス・フォン・ビューローに献呈。ビューローは「独創的で高貴だ」と激賞し、1875年のボストン初演を大成功に導きました。

結果的にルビンシテイン自身も態度を改め、この曲を何度も演奏するようになり、二人の友情は再び深い相互尊敬へと昇華したのです。


楽曲構造とウクライナ民謡の彩り
全3楽章・約35分の大作で、特に第1楽章が全体の約2/3を占める大胆な構成が特徴。

冒頭ホルンの序奏は「映画のオープニング」のように印象的で、以後二度と同じ形で現れない“特別なシーン”として聴き手の記憶に刻まれます。

また、この曲のもう一つの魅力は、チャイコフスキーが当時毎年滞在したウクライナ・カーミアンカで出会った民謡の影響です。

第1楽章主部のリズム変化、第3楽章の軽快な旋律は、いずれも妹アレクサンドラが暮らした地で耳にしたウクライナ民謡をモチーフにしています。この民族的エッセンスが楽曲に活力と郷愁をもたらし、世界中の聴衆を魅了し続けています。


メディアでの魔法的な登場
この華やかな序奏は、かつてエビス歯ブラシ「ザ・プレミアムケア」のテレビCMや、ソフトバンク「プラチナバンド」のCMで起用され、一瞬で視聴者の心をつかみました。

コンチェルトという形式が持つ“スター×バックダンサー”のドラマ性は、映画やアニメの劇伴にもぴったり。チャイコフスキーが描き出した力強い“運命の響き”は、今なおさまざまな場面で魔法のように蘇り、人々を別世界へと誘っています。

ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.35(1878年)

次は、チャイコフスキーの協奏曲 “第2弾”―ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.35のご紹介です。

この作品が生まれたのは、1878年のチャイコフスキー人生最大の激動期。結婚生活の重圧から逃れるため、スイス・クラランに滞在した彼は、ここで若き弟子ヨシフ・コーテク(愛称「コーティク」)と出会い、その薦めでエドゥアール・ラロの「スペイン交響曲」を聴いたことをきっかけに、なんと1ヶ月という驚異的なスピードでこの協奏曲を完成させました。

しかし初演は“演奏不可能”の烙印を押され、実際にステージにかかるまでに3年を要します。

しかも批評家ハンスリックから「粗野で鼻につく音楽」と手厳しい評価を受けたという逸話も……。

とはいえ、そのドラマティックな歌唱性とロシア民族舞踊のリズムが息づく終楽章は、やがて世界中のヴァイオリニストを魅了し、「四大ヴァイオリン協奏曲」の一角に数えられる名作へと昇華しました。

約35分・3楽章構成の本作は、第1楽章でスイスの湖畔を思わせる優雅な旋律が開く一方、第3楽章では力強いロシア舞曲のエネルギーが炸裂。

ドラマティックなコーダは、まさに“スター(ヴァイオリン)×バックダンサー(オーケストラ)”の完璧な掛け合いです。

テレビドラマ『のだめカンタービレ』やフィギュアスケート・高橋大輔選手の演技など、現代のエンタメシーンにも深く刻まれた傑作を、ぜひ心ゆくまでお楽しみください。

幻想序曲「ロミオとジュリエット」(1869年初版、1880年改訂版)

シェイクスピアの名作悲恋劇を音楽で描いた『ロミオとジュリエット』は、1869年9月から11月にかけて初稿が完成。

1870年3月16日にモスクワで、かつてピアノ協奏曲第1番をめぐり衝突したニコライ・ルビンシテインの指揮で初演されました。

しかしチャイコフスキー自身は初版に満足せず、1871年のベルリン出版版を皮切りに1881年まで改訂を重ね、現在演奏されるのはこの1881年決定稿です。

作曲の発端は「ロシア五人組」の一人、ミリイ・バラキレフの助言で、彼から主題や調性に関する具体的な示唆を受けたと伝えられています。

物語は静かな導入—修道僧ロレンスの回想—から幕を開け、モンタギュー家とキャピュレット家の激突を豪壮なオーケストレーションで描写。

やがてロメオとジュリエットの甘美な愛のテーマが登場し、バルコニーの逢瀬を芳醇な旋律で彩ります。

最後には悲劇的結末を迎え、瀕死のジュリエットの鼓動が弦楽器で表現されると、木管の高音が天上への扉をそっと開くかのように静かにフェードアウト。

愛と憎しみ、そして永遠の別れを凝縮したこの一曲は、チャイコフスキー初期の傑作として、今なお多くの聴衆を魅了し続けています。

序曲「1812年」(1880年)

 

チャイコフスキーの序曲『1812年』は、1880年にわずか6週間で作曲された祝典的な管弦楽作品です。

題材は1812年のナポレオンのロシア侵攻とその撤退──

冒頭のロシア正教の賛美歌から、フランス軍を象徴する「ラ・マルセイエーズ」、そしてボロディノの激戦を経て、最後に勝利を告げる大砲と鐘の響きへと、劇的な物語を音で再現します。

モスクワの救世主ハリストス大聖堂落成を祝うために書かれたこの曲は、当時チャイコフスキー自身からは「騒々しく、芸術的価値に乏しい」と評されましたが、今では大規模な野外演奏や花火大会のフィナーレに欠かせない名曲として親しまれています。

この時期、チャイコフスキーは創作に専念するため1878年秋にモスクワ音楽院の教授職を辞し、翌年から約十年にわたりヨーロッパとロシア各地を渡り歩きます。

フィレンツェ、パリ、ナポリ、そして妹アレクサンドラの住むウクライナ・カーミアンカ…。
1880年にはフォン・メック夫人の領地ブレイロフで過ごした静かな数週間を「親愛なる場所」と呼びました。

しかし自由な旅の日々は一方で試練の連続でもありました。

長年の友人ニコライ・ルビンシテインの死去、フォン・メック夫人をめぐる財政的危機、妹の家庭崩壊、さらには進展しない離婚問題──こうした心身の揺れ動きが、『1812年』をはじめとする後期の大作に、力強い祝祭性だけでなく、どこか刹那的な凄絶さをもたらしたとも言えるでしょう。