「ピアノの魔術師と呼ばれた19世紀の音楽家は誰?」「ピアノの詩人って誰のこと?」――音楽の授業やテスト、クイズ番組でよく出てくる、作曲家のあだ名(二つ名・愛称)。
この記事を読んでいるあなたも、こんな疑問を持っていませんか?
・「魔術師」と「詩人」、どっちがリストでどっちがショパンだっけ?
・「音楽の父」はいるのに「音楽の母」って誰?なぜ女性じゃないの?
・「楽聖」「神童」「交響曲の父」……似たような呼び方が多すぎて覚えられない!
この記事では、有名な作曲家の二つ名を一覧表でまとめたうえで、それぞれの由来となったエピソードまでじっくり解説します。読み終わるころには、テストで問われても、音楽好きの友人と話すときも、自信を持って答えられるようになるはずです。
作曲家のあだ名・二つ名 一覧表【早見表】
| 二つ名 | 作曲家 | 由来(ひとこと) |
|---|---|---|
| ピアノの魔術師 | フランツ・リスト | 超絶技巧と華やかな演奏スタイル |
| ピアノの詩人 | フレデリック・ショパン | 繊細で叙情的なピアノ作品 |
| 楽聖 | ベートーヴェン | 音楽史を変えた偉大さへの敬称 |
| 音楽の父 | J.S.バッハ | 西洋音楽の基礎を築いた功績 |
| 音楽の母 | ヘンデル | バッハと並ぶバロックの巨匠 |
| 神童 | モーツァルト | 幼少期から発揮された天才性 |
| 協奏曲の父/赤毛の司祭 | ヴィヴァルディ | 「四季」など協奏曲の形式を確立 |
| 交響曲の父 | ハイドン | 交響曲の形式を確立 |
| 歌曲の王 | シューベルト | 600曲を超える歌曲を作曲 |
| ワルツの父/ワルツ王 | ヨハン・シュトラウス1世・2世 | 「美しく青きドナウ」などウィーンのワルツ |
| 管弦楽の魔術師 | モーリス・ラヴェル | 「ボレロ」に代表される精緻な管弦楽法 |
| 涙の作曲家 | チャイコフスキー | 感情を揺さぶる旋律 |
それぞれの由来を、生まれた年が早い順に少し詳しく見ていきましょう。作曲家名のリンクから、生涯と名曲を解説した個別記事も読めます。
「協奏曲の父」「赤毛の司祭」はヴィヴァルディ

協奏曲の父と呼ばれるのは、イタリア出身のアントニオ・ヴィヴァルディ(1678〜1741)です。司祭(神父)でありながら作曲家としても活躍し、髪の色が赤かったことから「赤毛の司祭」とも呼ばれました。
ヴィヴァルディといえば、春夏秋冬の情景を音楽で描いた「四季」があまりにも有名ですが、実はヴェネツィアの女子孤児院「ピエタ養育院」で音楽教師を務め、そこの少女たちで構成されたオーケストラのために数多くの協奏曲を書いたという一面もあります。独奏楽器とオーケストラが掛け合う「協奏曲」という形式を数百曲単位で洗練させ、後のバッハにも大きな影響を与えたことから、この呼び名が定着しました。
「音楽の父」はバッハ、「音楽の母」はヘンデル

音楽の父はヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685〜1750)、音楽の母は同じ年に生まれたゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685〜1759)です。バッハは平均律や対位法など、その後の西洋音楽の「土台」を築いたことから父と呼ばれます。ヘンデルは男性ですが、バッハと対をなすバロックの巨匠として日本では「音楽の母」と紹介されてきました。
そうなんだ。バッハは教会のオルガニストとしては評価されていたけど、亡くなった後は作品のほとんどが忘れられかけていたんだよ。それを掘り起こして再評価のきっかけを作ったのが、作曲家メンデルスゾーン。バッハの死から約80年後の1829年に「マタイ受難曲」を復活上演して、大成功を収めたことで「音楽の父」としての評価が一気に高まったんだ。
一方のヘンデルは、法律家になることを望む父親の反対を押し切って音楽の道へ進んだ人物です。イタリアで学んだ後にイギリスへ渡り、オペラやオラトリオで次々と成功を収めました。教会音楽が中心だったバッハとは対照的に、劇的でエンターテインメント性の高い作品を数多く残しています。
バッハについて詳しくは 【音楽の父・バッハとは?】生涯と代表曲 を。バッハ以前の音楽史は ルネサンス音楽がもたらした革新 で解説しています。
「交響曲の父」はハイドン

交響曲の父と呼ばれるのは、オーストリアのフランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732〜1809)です。104曲もの交響曲と68曲の弦楽四重奏曲を残し、それまで形式が定まっていなかったこれらのジャンルに「型」を与えた人物として知られています。
ハンガリーの貴族エステルハージ家に約30年間仕え、宮廷楽団のために膨大な作品を書き続けました。当時まだ若手だったモーツァルトとは親子ほど年が離れながらも深い友情で結ばれ、後にベートーヴェンの師にもなるなど、古典派音楽の土台を築いた「先生役」のような存在でもあります。
「神童」はモーツァルト

神童と呼ばれたのは、オーストリアのヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756〜1791)です。3歳でチェンバロに触れ、5歳で作曲を始め、ヨーロッパ中の宮廷を演奏旅行で驚かせた幼少期の天才ぶりに由来します。35年の短い生涯でケッヘル番号626番まで数えられるほどの作品を残しました。
華やかな天才エピソードばかりが語られがちなモーツァルトですが、実は浪費癖があり、晩年は借金を重ねるほど生活が苦しかったことも知られています。父レオポルトによる徹底した英才教育を受け、幼い頃からヨーロッパ各地の音楽様式を吸収したことが、あの多彩な作風につながったと言われています。
詳しくは モーツァルトの名曲・有名な曲ランキング15選 をご覧ください。
「ピアノの魔術師」はフランツ・リスト

ピアノの魔術師(またはピアノの魔王)と呼ばれたのは、ハンガリー出身のフランツ・リスト(1811〜1886)です。12度(約30cm)に届く規格外の手を活かした超絶技巧に加え、暗譜での演奏や「リサイタル」というソロ公演の形式を発明し、ピアノ1台でオーケストラのような表現をしてみせたことから、こう呼ばれました。
そうなんだ。バッハは教会のオルガニストとしては評価されていたけど、亡くなった後は作品のほとんどが忘れられかけていたんだよ。それを掘り起こして再評価のきっかけを作ったのが、作曲家メンデルスゾーン。バッハの死から約80年後の1829年に「マタイ受難曲」を復活上演して、大成功を収めたことで「音楽の父」としての評価が一気に高まったんだ。
若き日のリストは、伝説的なヴァイオリニスト、パガニーニの超絶技巧の演奏を聴いて衝撃を受けたと言われているよ。「ピアノでもこれができるはずだ」と一念発起して猛練習を重ね、あの技巧を身につけたんだ。実際のコンサートでは、あまりの熱狂ぶりに客席で失神する女性まで現れたそうで、この社会現象は「リストマニア」と呼ばれたんだよ。
晩年はワイマール宮廷楽長として若い音楽家の教育にも力を注ぎ、後の印象主義音楽にも影響を与えました。同世代のショパンとは友人でありライバルでもあり、二人の交流は当時のパリの音楽サロンを彩る名物でもありました。
詳しくは フランツ・リストはなぜ「ピアノの魔術師」と呼ばれた?超絶技巧の作曲家の生涯と名曲 をご覧ください。
「ピアノの詩人」はフレデリック・ショパン

ピアノの詩人と呼ばれるのは、ポーランド出身のフレデリック・ショパン(1810〜1849)です。生涯のほとんどの作品をピアノのために書き、ノクターンやバラードに代表される繊細で叙情的な音楽が「詩」にたとえられました。マズルカやポロネーズといったポーランドの民族舞曲を芸術作品へと昇華させたことも、大きな功績のひとつです。
作家ジョルジュ・サンドとの約10年にわたる関係は、ショパンの創作にとって非常に重要な時期でした。しかし持病だった結核が悪化し、39歳という若さでこの世を去っています。「祖国ポーランドに心臓だけでも埋めてほしい」という遺言のとおり、彼の心臓は現在もワルシャワの教会に安置されています。
テストでは「魔術師=リスト」「詩人=ショパン」の組み合わせがよく問われ、選択肢にシューマンが混ざることもありますが、シューマンはどちらでもないので注意しましょう。
詳しくは ショパンとは?生涯・本名・性格・代表曲をわかりやすく解説 を。ショパンの曲に挑戦したい方は ショパン ノクターン難易度一覧 もおすすめです。
「楽聖」はベートーヴェン

楽聖(がくせい)と呼ばれるのは、ドイツのルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770〜1827)です。「音楽の聖人」を意味する最大級の敬称で、音楽史そのものを変えた偉大さに由来します。
ベートーヴェンはそれまで貴族のサロンで楽しまれることが多かった音楽を、より広く一般の人々に届けようとした人物でもあります。演奏中は静かに聴き入るという、今では当たり前のコンサートマナーも、彼の作品への敬意から生まれていったと言われています。
詳しくは ベートーヴェンとは|生涯と名曲解説 をご覧ください。
「歌曲の王」はシューベルト

歌曲の王と呼ばれるのは、オーストリアのフランツ・シューベルト(1797〜1828)です。ドイツ語の詩に旋律をつけた「リート(歌曲)」というジャンルを芸術の域にまで高め、生涯で600曲を超える歌曲を残しました。「魔王」「野ばら」を含む連作歌曲集「冬の旅」は、今も世界中で歌い継がれる名作です。
生前のシューベルトは、決して裕福でも有名でもありませんでした。それでも彼の才能を信じる友人たちが「シューベルティアーデ」と呼ばれる私的な音楽会を開き、集まって彼の新作を演奏・鑑賞して支え続けたというエピソードは、多くの音楽ファンの心を打ちます。31歳という若さで世を去りましたが、その功績は死後にどんどん評価を高めていきました。
「ワルツ王」と「ワルツの父」ヨハン・シュトラウス親子

「ワルツの父」と呼ばれるのが父ヨハン・シュトラウス1世(1804〜1849)、「ワルツ王」と呼ばれるのがその息子ヨハン・シュトラウス2世(1825〜1899)です。親子そろって同じ名前のため、二つ名で区別されています。
1世はウィーンの社交界にワルツというダンス音楽を広めた立役者で、当初は「ワルツ王」も1世の呼び名でした。しかし息子の2世がさらに人気を博し、「美しく青きドナウ」「こうもり」などの名曲でワルツを芸術の域まで高めたことから、いつしか「ワルツ王」は2世を指す言葉として定着し、「ウィーンの太陽」「ウィーンのもう一人の皇帝」とも呼ばれるようになりました。
「管弦楽の魔術師」はモーリス・ラヴェル

管弦楽の魔術師と呼ばれるのは、フランスのモーリス・ラヴェル(1875〜1937)です。同じ旋律を繰り返しながら少しずつ楽器を重ねていく「ボレロ」に代表されるように、楽器それぞれの音色や組み合わせを自在に操る精緻なオーケストレーション(管弦楽法)を得意としました。
同時代の作曲家ストラヴィンスキーは、ラヴェルの緻密な作曲技術を評して「スイスの時計職人」と称したというエピソードも残っています。もともとピアノ曲として書いた作品を自ら管弦楽用に編曲することも多く、色彩感豊かなオーケストラの響きは今も映画やCMなど幅広い場面で使われています。
詳しくは モーリス・ラヴェルの生涯と名曲 をご覧ください。
「涙の作曲家」と紹介されることもあるチャイコフスキー

ロシアのピョートル・チャイコフスキー(1840〜1893)は、感情を強く揺さぶる叙情的な旋律から「涙の作曲家」と紹介されることがあります。「白鳥の湖」「くるみ割り人形」といったバレエ音楽や、交響曲第6番「悲愴」など、聴く人の心を大きく動かす作品を数多く残しました。
ロシア人でありながら西欧的な作曲技法にも精通し、ロシア国民楽派とヨーロッパ音楽の橋渡し役ともいわれます。私生活では悩みの多い人生を送ったとも伝えられ、そうした背景が作品の情感の深さに重なって語られることも少なくありません。
詳しくは チャイコフスキーの生涯と名曲 をご覧ください。
なぜ作曲家には二つ名があるの?
これらの愛称の多くは、作曲家本人が名乗ったものではなく、当時の聴衆や批評家、後世の音楽教育の中で定着したものです。功績や作風を一言で言い表せるため、日本では特に音楽の教科書や鑑賞の授業で広く使われるようになりました。
まとめ
この記事では、作曲家の代表的なあだ名・二つ名とその由来を紹介しました。
・ピアノの魔術師はフランツ・リスト、ピアノの詩人はフレデリック・ショパン
・楽聖はベートーヴェン、神童はモーツァルト
・音楽の父はバッハ、音楽の母はヘンデル
・協奏曲の父はヴィヴァルディ、交響曲の父はハイドン、歌曲の王はシューベルト
・ワルツ王はヨハン・シュトラウス2世、管弦楽の魔術師はラヴェル
作曲家の二つ名は、その人の音楽の特徴を映す「鏡」のようなものです。名前と呼び名だけでなく、その由来となったエピソードまで知ると、いつも聴いている曲がまた違って聴こえてくるはずです。気になる作曲家が見つかったら、ぜひ各記事で生涯と名曲を聴きながらたどってみてください。ピアノを弾く方は、ここで紹介した作曲家たちの代表曲に挑戦してみるのもおすすめです。